連続 ズイフターになろう小説 第1話

2021年11月3日

この物語はフィクションです。 実在の人物・団体・出来事とは関係ありません。 

「父さんな、会社辞めてズイフターになろうと思うんだ。」
土曜の夜の家族の団らんのひと時が、一瞬で凍り付く。
「あなた何を言っているの?」
妻の玲子が8歳と2歳の子供に夕飯を食べさせる手を止め、混乱した顔で尋ねた。だけど目には冷たい光を宿している。
「父さんな、会社辞めてズイフターになろうと思うんだ。本気なんだ。」
私は腹を括ってもう一度同じ言葉を繰り返した。

ズイフトとはバーチャル世界でロードバイクを漕ぐことが出来るオンラインゲームで、ズイフターとはズイフトをやっている人の事をさす造語だ。スマートトレーナーというデバイスをロードバイクにマウントする事によって室内の中でも外をライドしている様にロードバイクを楽しむことが出来る。フリーライドだけではなくレースイベントも盛んで常に世界中から何万人という人がログインしている。私がズイフトに出会ったのは2年前。ロードバイクを趣味として始めてから間もなくのことであった。社会人になってこの方、これといった趣味もなかった私はこのズイフトにドハマりする。暇があればログインし、毎日数時間をサドルの上でズイフトをしながら過ごしていた。
これだけ長い時間をサドルの上とバーチャル世界で過ごしていると現実とバーチャルの境界線が曖昧になってくる。会社で年下の上司に成績が上がらない事を怒られているのが現実か、それともズイフト世界でロードバイクを漕いでいる自分が現実か、と。
eスポーツ全盛期の今日、プロのズイフターも数多くいる。ズイフトでお金を稼ぐ方法は大きく分けて2つ。賭けレースで勝つか、グループライド等のオーガナイザーとして働くか、である。民間での賭け事が禁止されていたのも今は昔、サッカーくじの様にスポーツ振興の大義名分と共にe-スポーツ普及の為に賭けレースが合法化され、ズイフト世界でも日夜世界中のセミプロズイフター達が賞金獲得の為にしのぎを削っている。ロードバイクという趣味に出会った年齢が遅かった私は今更賭けレースで勝ち上れるようなプロズイフターになれるとは思ってはいない。それほど身の程知らずではない。だからもう一つの方、オーガナイザーであれば私の実力でも十分に生計を立てて行くことが可能ではないかと考えている。
ズイフト世界にはグループライドで前を引いたりイベントライドを管理するオーガナイザーの他に「ペーサー」という職業がある。ペーサーはズイフト世界にある決められたコースを決められたペースで走るズイフトの職員だ。このペーサーと一緒に走ることにより一般ユーザー達はペース練習をするのである。ペーサーはその速さとFTPの強度別にA~Dランクに分かれている。FTPが序列の全てを決める厳しい世界だ。最も高ランクであるAペーサーは最高強度である4.0 W/kgで走り続けなければならない。当然、それができる人間は限られているため賭けレーサー程ではないにせよ報酬は高額だ。また、賭けレースズイフターは勝たなければ収入が無くなる博打稼業だがペーサーであれば会社員と同じように決められた時間を働けば給料が出るため安定した職業と言える。ただし、その業務は8時間の3シフトで構成されるため、自分のシフト中の8時間はずっと休むことなく自転車を漕ぎ続けなければならない。もちろん、トイレに行く暇もない。また、ただ漕ぐだけではなく時にはチャットを打って自分と一緒に走っている人たちを煽ったり楽しませたりしなければならない為、英会話の技術も必須だ。また、ペーサーはズイフトの社員ではなく個別の業務委託契約となる為、ユーザーからの評価が低い場合、降格または委託契約終了となる可能性がある。厳しい世界だ。その厳しい世界に安定したサラリーマンという職を捨てて私は挑もうとしている。

「父さんな、会社辞めてズイフターになろうと思うんだ。本気なんだ。」
妻の玲子は冷たい目で私を睨みつけている。だが、私も伊達や酔狂で決めたわけではない。これが人生最後のチャレンジだと思っている。
「もう会社には辞表を出したから。明日からズイフトで働くから。」
そう妻に告げて、私は寝室に向かった。背中越しに妻の泣き崩れる嗚咽が聞こえた。すまんな、今は分かってくれなくてもズイフターとして大成したら、玲子もきっと分かってくれる。自分にそう言い聞かせた。
実は既にズイフトの面接は通り明日から一番強度の低いペーサーであるDペーサーとして試用期間が始まることになっていた。妻を泣かせてしまった大きな後悔と明日から始まる新しい生活への不安と期待の入り混じった複雑な気持ちのまま私は布団に入り目を瞑った。明日から始まるプロズイフター生活の為に少しでも睡眠を取らなければ。

続く

この物語はフィクションです。 実在の人物・団体・出来事とは関係ありません。

筆者情報(初投稿時)

名前: てり~ Twitter @TerryRinRoadbik
年齢: 1985年産まれ36歳
身長: 176cm / 体重: 60~62kg / 体脂肪率: 9~11%
自転車歴: 2021年1月1日~
年間走行距離: 16,000~ km (2021年10月19日時点) (9割がズイフトです)
FTP: 247W / CTL 120~125

ライドスタイル: ズイフト、ロングライド、ファストラン、通勤、ヒルクライム
所有車両: CARERRA TD-01 AIR DISC (外乗り用) / TADA No. 74 (ズイフト用) / GARNEAU GARIBALDI G2R (通勤&グラベル)
大学卒業後、無職を経験。オーストラリア人の彼女(現妻)と国際結婚するために仕事だけを生きがいに頑張っていたら気が付けば30代も後半に「自分には何も無い人生」に失望し、一念発起して-27kgのダイエットに成功、その後ロードバイクに出会いロングライドの楽しさに目覚め、無謀にも「キャノンボーラー」を目指す。「今が人生で一番楽しい」「残りの人生で一番若いのは今日」をモットーに頑張っています。0歳と6歳男児のパパでもあります。
ファストラン記録:チバイチ523km 22時間26分 (2021年10月15日)
          東京湾イチ252km 13時間17分 (2021年7月22日)